この記事のもくじ
この記事はYahoo!ニュースの中で個人的に気になったニュースを取り上げてただただ一個人の意見を述べるという内容になっています。
9月11日にマネーポストWEBから投稿されていた「大学生活で消えゆく先輩から後輩への“おごり文化” 割り勘文化への分水嶺は30代か」を紹介します。
記事の概要
時間が経つとリンクが消えてしまうこともあるのでスクショだけ貼っておきます。全文見たい方は記事名での検索をお勧めします。以下、記事の概要をまとめてみました。
- 50代:これまで「後輩」として奢ってもらっていたから「先輩」として奢るようにしていた
- 40代:社会人でもないのにおごる必要があるのか疑問に思っていた
- 30代:後輩としておごってもらっていてもおごらなくなる人が出始める
- 20代:割り勘
記事内ではおごるのが正解か不正解かを結論づけているわけではなく、あくまでおごり文化がどう変わっているかの紹介にとどめています。ここはさまざま意見があるので記事のスタンスとしてはこれでいいと思います。
なんのため、何に対するおごり/おごられか?
受け答えの正解はたぶんない
金銭的負担の話だけをすると先輩からすればおごり文化はなくなる方が嬉しいし、後輩からするとおごり文化が続いてくれる方が嬉しいですよね。もちろん、それだけでは完結しないのが難しいところです。
記事内でもありますが、建前ではなく本音ベースで「おごられていると思うと申し訳ない」と思ってしまうといくら金銭的負担が浮くとしてもおごられる側の気持ちはマイナスに傾いてしまいます。かたやおごる方は金銭的負担が生じてもいわゆるGIVEなる行為ができたと思って満足感を覚えているかもしれません。
さらに難しいのはこれらの意思表示がその時の会話でなされているとしても本音か建前かわからないことです。
立場上「おごるよ」と言っていてもその先輩なりおごると言っている方が本音では「少しくらい出しますよって言ってくれないかな」と思ってるかもしれないし、逆もあるかもしれません。おごられる方も本音では多少は出したいけど、出したら気を損ねるかもしれないと思って「じゃあお言葉に甘えて」って言ってるかもしれません、これまた逆もあります。
なのでおごる側、おごられる側それぞれで飲み会などのシチュエーションになったときにどう対応するのが正解かというのは残念ながらないと思います。
言われたから?それとも自発的?
というと結局個々人としてはどう行動すべきなのか?の指針も出さずに終わりになるので自分が思っていることを示しておきます。
- おごる立場として:心からおごりたいと思うならすればいいし、したくないならしない
- おごられる立場として:少なくとも出してもらって当たり前とは思わないこと。提案はありがたく受けるが、ちゃんとお礼もいう
まず、おごる立場になる可能性がある場合です。場所の雰囲気上、本音ではおごりたくないのにおごらざるを得ないシチュエーションはあるかもしれませんが、どうしても嫌なら行かなきゃいいだけです。
そんなにおごりたくないということは、その人の食事代を自分が払ってまで一緒に行きたい人じゃないってことですよね?じゃあ行かなくていいんじゃないでしょうか?
次におごられる立場になる可能性がある場合ですが、これも考え方は同じですね。おごられたことで気まずくなったり変な借りを作ったと思われたくなかったりするのであれば適当に理由をつけていかなきゃいいだけです。明らかにいっといた方がいい飲み会とかなら体裁を保って出るといった感じでしょうか?
かくいう自分はそもそも行きたいか行きたくないかで決めているので実は他人におごるかおごらないかは二の次三の次になっています。おごろうがおごらまいが、少なくとも自分の分は払わなきゃいけないんですから、まずはその価値に見合うか否かで判断です。
その時点でスクリーニングされたらおごるおごらないの次元で迷うこともないかもですね。