【2022年読書レビュー】言葉と歩く日記

今回紹介する本

『言葉と歩く日記』です。


自分が書籍に求めることはその本が何を言いたいのか、何を書いているのか「まえがき」で明示していることです。いきなり第1章から入るような書籍は不親切極まりないと思っています。

で、本書ですが・・・まえがきがありませんでした。タイトルから「新書だけどエッセイみたいなもんなんだろうな」とイメージはつくけどさぁ。

仕方ないので出版元である岩波書店から本書の内容を引用させてもらいます。

熊の前足と人の手,ドイツ語では単語が違う.では人の言葉で語る熊は,自分の手を何と表すだろう──.日独二カ国語で書くエクソフォニー作家が,「自分の観察日記」をつけた.各地を旅する日常はまさに言葉と歩く日々.言葉と出逢い遊び,言葉を考え生みだす,そこにふと見える世界とは? 作家の思考を「体感」させる必読の一冊.

これを最初から書いてくれって話です。読んで初めてドイツ在住っぽくて日本語の表現、外国語の表現に関してふと湧く疑問だとか違和感が日記調で書かれているのがわかりました。

日記ベースなので目次はなしです。

言われてみたら「あっ」と思う日本語

見出しの通りです。そういやそうだなと思った言葉の表現を本書から引用して紹介します。

同じ言葉の繰り返し

同じ言葉を繰り返すのはだらしがないということになっているが、同志と目的語が同じ語源から出ているため、繰り返しを避けるのが難しい場合もある。(中略)日本語の場合、「洗濯物」と「洗う」では、「洗」という感じは重なるが、音読みと訓読みで音は重ならないので、気にならない。

頭痛が痛いとは次元は違いますよ、たぶん。他には食べ物を食べるとか書き物を書くとかも同じ表現ですね。同じ感じに対して複数の読み方があるのは中国語も4つのアクセントが存在する点では日本語と共通ですが、日本語の音読み訓読みってつくづく便利なもんだと思います。

文法はルール?

日本語では「文法」と言うので、それが「法」であるようなイメージを持ち、笑ってはいけないと思っている人もいるかもしれない。(中略)文法は法律ではなく、どちらかというと法則だが、それでもニュートンの万有引力の法則が法則であるのとでは根本的に違う。

ここでいう根本的な違いとは

  • 文法:法則があるものとないものがある
  • ニュートンの万有引力:不変的な事実

です。ここで例に上がっている「見られる」と「見れる」の混在なんか、無意識に使いがちですね。

新語の違和感

例えば「お茶する」という新語が生まれた時、「お酒する」は正しいが「ビールする」はおかしいと判断するのは感覚ではなく、まして感情ではない。ただその法則性を説明するのが困難なので、「それはセンスの問題だ」と言って片付けてしまう。

いや、「お酒する」も言わないでしょ笑。「いっぱい行く?」が例えば英語とかに直訳したらどう考えてもおかしいのに日本語では成り立つのが事例として「お茶する」と同じ土俵で紹介されているならまだしも、お酒もビールも行かんて!

なんとなくだけど、音の響きで違和感のあるなしは別れるんじゃないかが私見です。

日本語って面白い

会話する時にいちいち自分が発した言葉、相手が発した言葉に目くじらを立てることなんてないんですが、文字に起こされてみるとなんか不自然・・・!って思う言い回しが日本語にはたくさんありますね。

昔は使われてなかったけど今使われるようになった言葉が増えると「昔の方が良かった」なんてことをよく聞きますけど古文の時代の人たちからしたら五十歩百歩じゃないでしょうか。

何が正しい、間違いではなくて今の日本語のトレンドが何か?と言う観点でその時々の日本語を受け入れたいですね。

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