この記事のもくじ
今回紹介する本
『「無償」の仕事』です。
無償(むしょう)と書いて「ただ」です。つまりはボランティアが本書のお題目です。
ボランティアについては他の本を読んでこのブログでレビュー記事出してますし、都度自分の意見も発信してきました。現状も変わりなく以下の通りです。
このての話は毎回「海外ではボランティアや寄付に積極的なのに」という意見が散見されますが、そもそも日本人ははなっからサービス残業などなどで事実上無償の仕事、人的資本の提供をしていると自分は解釈しています。
- ボランティアする人が能動的にやる分には完全な無償でもいい
- でも災害ボランティアのように受け入れ側がお願いしてやってもらうものについてはボランティアのための経費くらいは支給すべき
- 日本はもともと無償で何かをすることが美徳化されていて、ボランティアという言葉で言いくるめてマンパワーをノーリスクで搾取してやろうという傾向が強まらないか懸念される
本書はひたすらボランティアに関連した著者の思うところが徒然とまとめられています。後半は正直ボランティアから話が脱線してる感は否めませんでしたが。
- ボランティアをする人たち
- 地球を愛する
- 「弱者」か「くせ者」か
- それがあたりまえ
- 正しいか正しくないか
- 「死にませんよ」
- 小さないい話
ボランティアの注意事項
ボランティアはその行動主が自発的にすることです。自発的にするからなんでもやっていいのかというとそうでもないのがボランティアの難しいところです。例えば本書ではその難しいポイントとして以下を挙げています。
- される側は意図しないことがあっても批判したり断ったりできない(無償なり自発的な動機でやってもらっているため)
- する側はやったことに自己満足してしまってされる側への配慮が欠けることがある
本書ではボランティアに伺った先で送迎を受け入れ側がやってくれたけど運転がおっかなかったので帰りはタクシーで移動しようとしたら押し問答になったというエピソードが紹介されていました。送迎する側としてはそれこそ「ボランティア」のつもりでやっていたようですが送迎される側としてはおっかない運転で送迎されたくないなんて言えないしという、まさにする側される側の疎通の難しさが現れています。
やるのはいいんですけど、どうせやるなら何をしたら役に立つかを考えるのはボランティアじゃなくても大事ですよね。自分がやっていることがされている側にとってのありがた迷惑にあっていないか顧みないといけません。
自助の時代のボランティア
菅元総理が目指していた社会像は『自助・共助・公助、そして絆』です。もう一つ互助という言葉もありましてそれぞれ意味は次のとおりです。
- 自助:他の力に依存せず,独力で事をなすこと
- 共助:互いに力を合わせて助け合うこと=互助
- 公助:国や政府、市町村などによる助け
自分のことは自分でなんとかするのか、地域ぐるみなり職場単位なりでなんとかするのか、はたまた警察や消防、市町村の支援をお借りするのかの違いです。これは災害でも、老後資金の問題でも、日常生活でも同じです。
少子高齢化が進んでいる現在は公助をするにも財源となる税金を納めてくれる人が減ってる(なんなら支出の対象になる人が増えてる)し、共助と言っても地域のつながりは希薄になっている以上は自助がマストになります。お金の話なんて最たる例です。
今まではボランティアのおかげでなんとかなってきていることでも、これからは「自分のことで精一杯」「行きたくてもそのための交通費がない、車がない」といった具合でボランティアとして活動してくれる人が減ってきて人が集まらない状況も生まれるでしょう。なんなら高齢化しているわけですから、受け入れる側が期待するような
- 体力があって
- 時間も長期間対応してくれて
- お金は払わなくてもいい
なんてムシのいい人材そうそう集まらないと思います。著者はボランティアは完全な無償であるべきとしていますが、活動してもらうことを目的にするなら移動くらいのお金は受け入れる側が準備するくらいのつもりでいないといけないと思います。
理想のボランティア像を満たす人を追い求めるあまり、ボランティア活動をしてくれる人がいなくなるなんていう本末転倒な結果だけは避けないといけません。