あなたはどっち派?〜ボランティアは有償or無償〜

この記事はこんな方向け
・ボランティアに興味がある方
・「ボランティアは無償」に疑問を感じている方

はじめに

今回の質問と自分の回答はこちらです。

ボランティアは有償と無償、どちらであるべきだと思いますか?

有償であるべきだと思います。

毎日の生活で二者択一を迫られることがたくさんあると思います。〇〇を食べるか食べないか、糖質制限にするか脂質制限にするか、お風呂に浸かるかシャワーだけにするか・・・。

もちろん全て0か100かということはなくて、実際にはどちらかに重みをつけ選択するのが常ですが、どちらか選べと言われたら選べないのが日本人じゃないかなと思っています。

そこで2つの選択肢があるときにどっちを選ぶかシリーズをやってみることにしました。

今回は
・災害に関する二者択一”ボランティアは有償にすべき?それとも無償ですべき?”
についての考えを紹介します。

ボランティアの有償/無償に関する意見

世間ではどんな見方がされているのかと思い、以下の2つの文献を読んでみました(ネットで調べるとpdfが自動ダウンロードされるので、貼り付けできず。下記タイトルで検索してください)。

2つとも有償/無償のどちらがいいという立場ではなく、それぞれの問題点(何かあったときの保険をどうするのかとか有償の範囲はどこまでにするか)や有償ボランティアが生まれた背景などが書かれていて中立的な印象を受けました。

ただ、本来ボランティアは無償だけど・・・という前提なのは双方共通しているように思いました。

参考文献:有償ボランティアの提起する問題に関する考察
     ボランティア活動の今日的問題

自分は〇〇派

条件つきでとかいうと立場が曖昧になるので0か100かの回答をさせていただきます。

自分はボランティアは有償にすべき派です。これは
ボランティアの目的(災害支援、普段の街のゴミ拾い、子供に勉強を教えるなど)にかかわらずです。

理由は次の通りです。

  • ボランティアをしたい人は現地での作業を希望しているお金を払いたいとは言っていない
  • やってもらう側が無償で働いてもらおうという思想はやりがい搾取そのもの
  • 金銭面の理由でボランティアができない人にも門戸を広げる

ボランティアをしたい人は現地での作業を希望しているお金を払いたいとは言っていない

もし皆さんがボランティアをするとして、移動と宿泊に5万円かかるとしましょう。

あなたは5万円を払うために被災地に行くという行動をするのでしょうか?それとも被災地支援をしたいから被災地に行くのでしょうか?

当然、ボランティアをするというなら後者でしょう。まさか「つかれた状態で飲むお酒を飲むためにバイトで体力を使ってお金をもらう」的な本末転倒なことはしないでしょう。

ボランティアする側がお金は要りませんというのは基本的には現地作業に対してのお金のことでしょうから、誰だって必要経費の5万円を払わなくて済むなら払いませんよね?

この経費まで含めて「無償であるべき」とするならば、行き過ぎた考えですし、必要経費分はボランティア側に負担させてはいけないと思います。

やってもらう側が無償で働いてもらおうという思想はやりがい搾取そのもの

でもボランティア=無償って意味じゃないの?という方もいらっしゃるでしょう。これは半分正解で半分間違いだと思っています。

ボランティアという言葉の意味をCambridge Dictionary(日本語で言う国語辞典)で調べるとこうです。
“a  person who does something, especially helping other people, willingly and without being forced or paid to do it”
「強制的ではなく、対価が支払われなくとも自発的に他人を助けるなどの行為をする人」です。

確かに対価なしの行動と取れますが、あくまで対価なしでいいと思っていいのはボランティアをする側であって、やってもらう側が「無償でやってくれるよね?」という頭でいるのは筋違いだと思います。

100歩譲って「お金は出せないけどやっていただけませんか?」というスタンスであるべきだと考えます。

とは言っても「ボランティアの特徴は無償あることで意味が生まれる」という意見もあると思います。それも正しい意見だと思います。

でも日本でそれを言うのはしっくりこないのです。
というのは、欧米みたいにビジネスとボランティア=有償の行動と無償の行動が明確に分かれているならいいのですが、日本はビジネスもボランティアもごっちゃになって

「人のために尽くす行動でお金をもらうのはおかしい。当然無償だよね」

という思考回路になっているように思います。じゃなければサービス残業なんて横行しないでしょう。

要は対価をもらうべき仕事にすら無償性が発生してしまっているのでボランティアの無償性ってそんなに価値ないんじゃない?ということです。

この思考回路を治そうとするならまずは然るべき労務の提供に対して対価が支払われる状態にするためにも、ボランテイアであろうとも必要経費分は有償にすべきだと思います。

※重ねてですが、やる側は要りませんと言って金銭的なリターンを拒否するのは一向に構いません。

すべてが有償であるべき仕事で然るべきお金を誰もがもらえるようになったら無償で行うボランティアの価値もはっきりしますし、やる側もそういう価値観(普段は稼ぐことにフォーカスしているから無償であることに意味がある)になるでしょうから、そうなってから経費も含めて無償であるべきかどうか議論をすればいいんじゃないかと思います。

それでも自分は必要経費分はボランティアに負担すべきではないと思いますが。

金銭面の理由でボランティアができない人にも門戸を広げる

老後2000万円問題でざわついたように、今の日本で「お金もらえなくてもボランティアします」と言える人は極々少数だと思います。

なぜならボランティアをするには作業できるだけの体力はもちろんですが、お金と時間にも余裕がないといけないからです。

よっぽど尾畠晴夫さんのような聖人でもない限り自分の生活をけずってまでは行かないでしょう。行くとしても会社から有給をもらって行けるかどうかだと思います。

かといって有給をまともに取れない日本でボランティアのための有給を取得できるかと言ったらそれも非現実だと思います(そもそもボランティアで有給取らせてくれるような会社はホワイトでしょうから、普通の有給も難なく取れるはずです)。

非正規雇用が悪い意味で広まった日本なら正規雇用の方だけでなくバイトや派遣、日雇いの仕事で頑張って生計を立てているような方々も一定数いらっしゃるわけですから、

・交通費、宿泊費は実費支給(もしくはパスみたいなものを作って無料で行けるようにする。最後の支払いは市町村か国の負担でJRやバス会社等に支払い)
・47都道府県の最低時給で計算した賃金を謝礼として支払う(これも市町村か国負担)

ここまでしたらボランティアの数が足りない状況は幾ばくかは解消されると思います。

おわりに

無償であるべきという意見にも同感なポイントはたくさんあります。

ボランティアで金稼ぎなんておかしいと思われる方もいらっしゃるでしょう。

でも自分はいまの日本だとオリンピックの「ボランティア」がそうであるように「ボランティア」という言葉を利用してちょっとでも安くあげてやろうとかお金を払わずに人手を確保してやろうという意見が見え隠れするので有償であるべき派です。

そもそも東京オリンピックのはボランティアではなくて運営スタッフと言うべきでしょう。

こういう時事的な話ははっきり意見を言いづらいと思いますが、こういうところではっきりした考えを持っておかないと人に流されたり、変に同調する癖がついてしまいますので是非みなさんにも考える練習としてこのお題を考えてもらえたらと思います。

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以上でこの記事は終わりです。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
自分で考え、決めて、行動して、一緒によりよい時間を増やしましょう!

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