この記事のもくじ
この記事では直接的に書籍の内容に触れることはできるだけ避けたうえで、読んでその内容について思ったことなどなど紹介します。
今回紹介する本
『原子力の哲学』です。
2011年の東日本大地震をきっかけにすっかり原子力発電は目の敵的な存在になってしまいました。下図は自然エネルギー+原子力発電が全体の発電量に示す割合の年次推移を示していますが、わっかりやすく2011年を境に急減しています(出典;特定非営利活動法人 環境エネルギー政策研究所)。
もしあれがなければカーボンニュートラルの計画も原子力発電が軸になっていたことでしょう。
これから原子力発電はどうなるのか、どうしていくのか。
これを科学的な観点ではなく哲学としてどう捉えられてきたか、それを紹介しているのが本書です。著者は従来の事実では説明できないことが起こった時に言語化するのが哲学の役割であるとしており、結果的に哲学の出番がやってきてしまったとも考えられます。
本書の構成は以下の通りで7名の哲学者の話が紹介されています。
- マルティン・ハイデガー:技術の本質と落とし穴
- カール・ヤスパース:原子力と世界平和
- ギュンター・アンダース:「プロメテウス落差」を埋めるための想像力の拡張
- ハンナ・アーレント:原子力は「私的領域」から「公的領域」に移す
- ハンス・ヨナス:現在は大丈夫でも未来で問題になる可能性
- ジャック・デリダ:核戦争は最初にして最後の戦争
- ジャン=ピエール・デュピュイ:原子力が人類を破滅させる可能性があることを信じる
いま大丈夫=これからも大丈夫、ではない
5章のはなしに該当します。ハンス・ヨナスさんは原子爆弾という形で原子力が使われた歴史を踏まえつつ、なんらか平和的な利用方法があるのではないかと考えていました。
それが原子力発電です。が、さまざま考慮を重ねていくに従い見解の変化が見られます。
- 科学技術の力は増大しすぎていて、その影響ははるか未来にまで及ぶようになっている
- その影響は当初の目的が良い目的か悪い目的かによらず起こりうる
- 現時点で剣とわかっているものよりも鍬に見えているもののほうが厄介
- ただ、未来予測自体が不確実であることにも着目しないといけない
- 原子力発電は完全悪ではないと思うが、上記危険性があることをわかって使用するべきだ
この観点が抜けていたから、福島第1原発の事故が起こってしまったのではないかーそう思います。
事故が発生する前は放射性廃棄物を地中に埋めるための土地募集をかけるCMがよく流れていましたし、学校の教科書の類でも「原子力は5重の壁(格納容器などのこと)で守られているから安心!」と書かれていたのを思い出します。
政府や電力会社だけの問題ではなくて、もし起こったらどうなるかーそれをわからずにホイホイ恩恵にあやかっていた国民も同様でしょう。
いま大丈夫=これからも大丈夫、ではない
この本のいいと思ったところ
- 根本的に原子力をどう見做すべきか思考を改めるきっかけになる
- 原子力の問題が叫ばれていなかった時代の哲学者による考慮であること
原子力は危険か安全かという二者択一的な議論になりがちですが、哲学という全く関わりのなさそうな学域からの指摘、知見は貴重です。
そもそも原子力に限らず自分達は自分達がつかっているものをどれだけ理解している?本当に安全ってわかってる?見えざる危険はないか?そのための対策はある?ーーこのような見つめ直しをすることは思考整理につながります。
不信でも過信でもなくほどよい距離感
全幅の信頼を置いているものもあれば逆にまったく当てにしていないこともあるでしょう。 どちらであっても不信だとちゃんと知ろうとしない姿勢が強まり、過信だと過ちに気付けない姿勢になります。
自分を俯瞰するように自分が関わっているものに対しても常に俯瞰する姿勢が中立的に正しく理解、認識のためにいいですね。
この本のおすすめ度と読むのがおすすめな人
おすすめ度は10点満点中8点です。
この本は次のような方が読むのにぴったりと思います。
- 科学的観点でしか原子力のことを考えたことがない
- 哲学=難しいと思っている
「理解社会学」は同じ哲学でもゴリゴリすぎてさっぱり理解できませんでしたが、本書は哲学と言いつつも著者による解説も沿えられているので読みやすい印象でした。
自分はカーボンニュートラルという目標を前提とするなら、想定しうる最大の対策を講じた上で原子力は稼働せざるを得ないと思っています。あなたはどう思いますか?