【2023年読書レビュー018】古典と日本人 「古典的公共圏」の栄光と没落

今回紹介する本

『古典と日本人 「古典的公共圏」の栄光と没落』です。


この動画、ご存知でしょうか?自分は全ては見ていないのですが「いかにもひろゆき氏が言いそうな意見だなぁ」と思ってました。

高校の科目は国語・数学・理科・社会・英語と区切っても英語を除いては以下のように細かく分かれてます。

  1. 国語:現代文・古文・漢文
  2. 数学:Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・A・B・C
  3. 社会:地理・公民・倫理・日本史・世界史
  4. 理科:物理・化学・生物・地学

この中で古文・漢文だけピンポイントで攻撃されるのは非常に悲しいですが、他方で「これって役に立つのか?」と懐疑的な方も多いはず。古文漢文を勉強していた時だけ「ありおりはべりいまそかり」とか「〜〜だろうか、いやない」みたいな言い回しを会話で使うなんてことも自分が高校生の頃はありましたが、今もそんな感じなんですかね?

本書で解説されているのは大きく2つ。1つは古典の歴史でもう1つは日本人が古典を学ぶべき理由ですが、ほとんど前者です。自分は歴史そのものは好きですが、古典の歴史には興味がないのでまぁまぁ読み飛ばしました。

本書の目次
  • 古典意識の成立――古典なるものと藤原俊成の戦略
  • 古典的公共圏への先駆――古典と注釈
  • 古典的公共圏の確立――身だしなみとしての和歌・古典
  • 古典的公共圏の展開――戦乱においてますます躍動する和歌・古典
  • 古典的公共圏の繁栄――古典の王国だった近世日本
  • 古典の末路――古典を見捨てた近代
  • 古典の活路――それでも古典を学ぶことには意義がある

基礎教養から学校教育科目へ

つらつらと述べられている各時代での古典の位置付けは割愛しますが、最後のところでこのように指摘しています。

  • 近代日本は、結局のところ、近代化の代償として、古典およびそれと一体化していた古典的公共圏をいとも簡単に捨ててしまったのであった。
  • 古典を価値としては殺し、その一方で、いやいや(嫌々)学ばせる学校教育と(略)
  • 古典的公共圏とは著者の造語です。本書では「古典の素質と本家どり・題詠和歌の詠作能力をもって一人前の人間と見なすこと」です。ごめんなさい、全く意味がわかりませんでした。

    読んでればわかりますが、著者は古典必要論者です。だから近代化の過程でそれに必要なこととはアンマッチだった古典の価値が殺されている状況を良しとはされていないように思います。

    でもどうなんでしょう。ぶっちゃけ役に立たないものを無理やり残してもしょうがないとは思いませんか?ガラケーからスマホに移行したようにその時々で価値が認められているものに淘汰されていく過程で古典は教養から学校で(無理やり?)勉強する科目の1つという位置付けに変わっただけです。本当に古典に「読み書きそろばん」のような価値があるなら近代化する道ではなくて従来の古典を大事にする文化のままで現代に至っていたことでしょう。

    なので学校で勉強する科目としてなんとか生き残ったというだけでも十二分じゃないでしょうか?今のご時世、和歌や俳句を読めたら最低限の飯が食えますかといったら完全にNOですし、まさに娯楽とか嗜みの対象であることがぴったりだと思います。

    他方、古典(古文漢文)を学ぶのは高校ですが、高校は義務教育ではないので実生活に役に立つか立たないかの尺度で科目設定する必要はないと思います。その点はひろゆき氏の意見には賛同しないところです。

    ・・・

    っていうなら投資の授業は高校の家庭科ではなくて中学の家庭科でやるべきだと思いますが。

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