【2022年読書レビュー】死は存在しない〜最先端量子科学が示す新たな仮説〜

今回紹介する本

『死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説』です。


皆さんは死んだらどうなると思いますか?生きている人は死んだ人の生の声を聞けないし、「ちょっと体験してくるか!」といって体験できるものでもありません。永遠に解決しない問題がこの世にあるとしたらこの疑問もその一つになると思います。あとは「宇宙はいつ始まったのか?」とか「宇宙の外側は?」もそうかな。

自分は「死んだら生まれる前の状態に戻る」と思ってます。生まれる前のことって誰も答えられないですよね。だって生まれてないし。そして生まれていない時に怖いなぁとか苦しいなぁとか思ってないですよね。なので死んだ後に天国or地獄みたいな鬼畜ルーレットはないと信じてます笑。

さて、本書のお題目はその「死んだらどうなるか」についてです。東大理系学部出身のゴリゴリのアカデミックに進んだ著者が考えている死後の世界はなんとスピリチュアルなものなのが面白いポイントです。

本書の目次
  • あなたは、「死後の世界」を信じるか
  • 現代の科学は「三つの限界」に直面している
  • 誰もが日常的に体験している「不思議な出来事」
  • 筆者の人生で与えられた「不思議な体験」
  • なぜ、人生で「不思議な出来事」が起こるのか
  • なぜ、我々の意識は「フィールド」と繋がるのか
  • フィールド仮説が説明する「意識の不思議な現象」
  • フィールド仮説によれば「死後」に何が起こるのか
  • フィールド内で我々の「自我」(エゴ)は消えていく
  • フィールドに移行した「我々の意識」は、どうなるのか
  • 死後、「我々の意識」はどこまでも拡大していく
  • あなたが「夢」から覚めるとき

著者がイメージする死後の世界

前提は「ゼロ・ポイント・フィールド」の存在

著者は死後の世界のみならず日常生活で体験する不思議なこと、例えば

「直接会話をしていないのに意思が通じ合っていた」

とか

「全く見聞きしたことがないのに昔から知っていたような感覚」

というものを説明する手段として「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」を持ち出しています。これは著者が勝手に考えたわけではなくてググってもらうとそこそこ情報が出てくるような概念です。この仮説の考え方・特徴は以下の通りです。

  • 宇宙の中に普遍的に存在している量子真空にあるもの
  • この宇宙のすべての出来事が波動情報として記録(記憶)されている

量子力学の世界だと物質は波の性質をもつという考えに基づいている(実際、そう考えないと説明できないことがあるから)ので上記の特徴として「波動情報として」という文言が入ること自体は自然です。

ちなみにそんな前提に立っているので量子力学では物質(厳密には電子ですが)の動きを「波動関数」なるもので表現していて、これによると物質が密な壁をすり抜けることもあり得るとしています。トンネル効果と言います。これを拡張すると人間も壁をすり抜ける確率はゼロじゃないという摩訶不思議な話が始まりますがこれ以上はやめときましょう。

その上で著者が想像する死後の経緯

では上記のような世界が存在するとして死んだらどんな経過を辿るのか、次のような仮定を提唱しています。

  1. ゼロ・ポイント・フィールド内に存在する「深層世界」には情報が残る
  2. 「現実世界」の自己=現実自己は死ぬけど、「深層世界」の自己=深層自己は生き続けるので、意識は深層自己に移る
    ※深層世界の自分は生きている時も存在する
  3. しばらくは現実自己の自我意識が深層自己でも中心的な役割を果たす
    ※臨死体験している時はこの状態
  4. 徐々に自我意識が消えて、自我を超えた「超自我意識」に至る
  5. 超自我意識は家族意識ー共同体意識ー国家意識というように領域を広げながら「人類意識」へ拡大する
  6. 人類意識からさらに拡大していき地球意識、最終的には宇宙意識に到達する。

うん、ここまでくるともう科学の要素は微塵もないですね笑。

科学的には正しくないかもだけど心休めにはなる

日常生活では深く関わらないけれど、仏教だって言っちゃえば科学的な信憑性は評価できませんよね。多分NOでしょう。でも自分もふくめですが多くの方がどこかしらの宗教の信仰をしているんじゃないでしょうか。それって

心の拠り所が欲しいから

だと思うんです。自分も死んだら無になるかもしれない、でも無になると思うと怖いし、亡くなった親しい人との距離を離したくないというような願望から「こういうふうに考えたらいいよね」というのが宗教だと思います。一部の度が過ぎてるやつはダメだと思いますが。

11月に訪れた宇治の平等院にしても死にたいする不安やおそれを取り除くために「死んだらこんな感じの極楽浄土が待ってまっせー」というコンセプトで作られたものです。現代人だと「鳳凰堂はいらん!ゲームに囲まれてないと極楽浄土じゃない!」なんて人もいるかもしれませんけどね。

本書で言ってることも大筋は一緒だと思います。死後の世界も存在する、そう思えば少し気楽になるよねっていう提案であり、そこに対するニーズは時代を超えても共通ですね。

やりすぎコージーじゃないけど信じるか信じないかはあなた次第です。

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