【2022年読書レビュー】過剰可視化社会 「見えすぎる」時代をどう生きるか

まえがき

今回紹介する本

『過剰可視化社会 「見えすぎる」時代をどう生きるか』です。

本書の概要

働くようになると「見える化」という言葉を耳にする機会が増えます。具体的には

  • 品質不良の内訳を定量的に定期的に掲示する
  • 職人の技をデータで表現する

みたいに今まで具現化されていない対象を映像なり数字を伴ったデータなりでわかるようにするような動きです。これとはニュアンスが異なるものの現代のSNSでプロフィールを晒すとかYouTubeで私生活を紹介するというのも見える化の一つと言えるでしょう。

本書はひと昔なら見えなかったもの、わからなかったありとあらゆることが見えるようになったことへ警鐘を鳴らすものです。後半の3章は対談形式なので個人的には読まんでもいいかなと思いました。

本書の構成
  • 2010年代の視覚偏重
  • 資格依存症からのリハビリ
  • 「見える化」された心と消えない孤独
  • 新たなノーマル
  • 健康な「不可視の信頼」

個人の見える化に伴う副作用

ここ10年でガラッと変わったものといえば個人の表現方法でしょう。10年前でもツイッターやフェイスブック(後、mixiも)といったSNSはサービス提供されていましたが、今ほど活用もされていませんでした。

それが今や相手の電話番号は知らないけどSNSのアカウントなら知ってるという人が次々出てくるくらいSNSの存在は身近になってます。よって、SNSwo使って発信することに抵抗を覚える人も10年前と比べると少なくなっているように感じます。

が、この10年間では次のような問題も生じていると言います。

型へのはめ込み

既存のハッシュタグやカテゴリーに嵌め込むことです。似たような話に何か体の異常があったら何かの病気に無理クリ紐づけようとするのもありますね。

個人を発信しているのにハッシュタグやカテゴリーの枠内で発信しているようでは果たしてそれは個性があると言えるのか??ハッシュタグやカテゴリーで表現しきれない情報を埋もれさせていないか??再考が必要です。

「やばい」と「エモい」

とりあえず使っとけ!!なワードです。いいとも悪いとも受け取れないグレーゾーンなやつです。ちゃんとシチューションを踏まえて理解していれば

  • やばい⇨まずい、良くない、すごい
  • エモい⇨感傷に浸る、感動する、懐かしく思う

みたいに別の言葉でも表現できる(というかそっちの方が直接的に意味が伝わる)のに使われるのは「やばい」と「エモい」。日本語も古代からちょこちょこ変化して現在に至りますが、直近の変化は雑な側への変化だと思ってしまうのは自分だけでしょうか?

テキスト

テキスト

目に見えないものも大事にしたい

見える化っていうくらいなので、どこで感じ取っているかといえば全て視覚です。視覚から得られる情報は9割とも言われる中で、その視覚を活用するのは自然にも思えます。

一方で、その視覚からノイズになるような情報、行動を乱すような情報ばかり手に入れていてはNGです。最近では聴く読書なんてものが流行っているように情報は視覚以外でも取り入れられます。

ついつい視覚に頼りがちですけど、そんな時こそ聴覚、触覚、嗅覚、場合によっては味覚も使いながら外界に触れると見えなくてもいいものと距離を置き、むしろ距離を縮めておきたいものに触れるチャンスになるかもしれません。

スマホを持たずに散歩に行くとか、デジタルデトックスをするのもその一環でいいことじゃないかなぁと思います。

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