この記事のもくじ
この記事では直接的に書籍の内容に触れることはできるだけ避けたうえで、読んでその内容について思ったことなどなど紹介します。
まえがき
今回紹介する本
『特攻 戦争と日本人』です。
この本を読んだのは3月20日。に対して知覧の特攻平和会館を訪れたのは3月5日。
順番が逆になってしまったのですが、自分の主観だけで特攻隊員として命を捧げた方々への感情移入するだけでなく第三者の意見も加えて特攻とはなんぞやだったのかを客観的に知っておきたいと思いました。
本書のまえおき
著者は窮地に追い込まれた時にこそその国の有り様が見えてくるといいます。その点で太平洋戦争というのはまさにそうした状況に至った事例であり、特攻作戦はその窮地に追い込まれた結果の産物と言えます。
本書では特攻作戦が始められた経緯や始まってからの詳細な事実を事細かに、かつ、多角的な視点で論じる内容となっています。「特攻は国を守るために若者が命を捧げた行為だ」といった美化する風潮に対して一石を投じられるものとなります。
- 太平洋戦争における特攻(飛行機もろともぶつかる特攻以外にも特攻はさまざまありました)
- 神風特別攻撃隊の経緯
- 海軍の戦闘能力喪失まで
- 海軍による特攻の開始
- 陸軍による特攻の開始(知覧から飛び立った部隊はここに当たります)
- 無理に継続された特攻の内容
- 航空機以外の特攻
- 特攻を語り継ぐ歴史
- 現代に残る特攻
歴史は都合のいいように作られる
死人に口無しと言います。亡くなってしまった人には何も主張することができません。特攻に行って亡くなった方も同様です。
特攻については様々議論する観点があります。その一つが本当に志願して出撃したのか否か。
そこについて本書では次のように紹介しています。
- 参謀曰く「感激に興奮して全員手を上げた」
- 指示をされたもの曰く「誰も返事をしなかった結果行くかいかないかを促され反射的に手を上げた」
結局、人は都合のいいように解釈するきらいがあるということです。
人を特攻に行かせておいて自分は生き残ったという(10000歩譲ってお前が先に行けよって)者は戦後「彼らは自発的に行った」と主張したというのです。そうしないと自分が処刑されるからですね。
他人には天皇陛下への忠誠を誓って華々しく散れといっておいて自分は敵艦にぶつかりにすら行かないというクズofクズ。もし自分が当時いたら・・・考えずにはいられません。
とにかく、個々人の主張には「こうあってほしい」「不特定多数にはこう理解されておいてほしい」という主観が多分に含まれています。これを知っておかないと誤った理解につながります。
特攻で言えば御国のために散ったとかいう美談で済まされてしまいます。
あとがき
遺書すら真意かどうかはわからない。けれど
自分が知覧で見てきた遺書はほとんどが前向きな言葉でした。華々しく散る、武運長久、撃沈、桜の如く散る。
しかしその前向きな言葉すら本当だったかどうか自分は疑問に思っています。それが本当だったとしてもそれは死ぬことが確定しているので責めて最後くらい前向きな言葉を残しておこう(そうでもしないと出撃できない精神状態だから)というだけではないかと。
ではあの遺書、手紙に何の意味もないかといったらそんなことはありません。言葉の一つ一つに着目すればやり残し、心残りがあることは伺えますし、それが書かれてなかったとしても(大半はそうだと自分は受け取りましたが)、窮地に追い込まれたら現代では考えられないような制約であったり、こういった言論の自由度しかないのだという一つの現実を目の当たりにできるのです。
それは確実に「じゃあ今の自分はどうか」「これからどう生きていくことが彼らの行為を無駄にしないか」考えを改めることに貢献します。だからこそ、上司に命令された形で、不本意ではあったに違いありませんが国のためにと命を捧げた若者がいることを知る義務が現代日本人にはあると改めて感じました。