【2022年読書レビュー】はじめての利他学

まえがき

今回紹介する本

『はじめての利他学』です。

本書の概要

利他という言葉に対してどんな意味があったり、類義語対義語には何が該当するとかんがえるでしょうか。

辞書的には2つの意味が出てきます。

  • 自分を犠牲にしてでも他人の利益を図ること
  • 自己の善行の功徳によって他者を救済すること

他を利する、とかいて利他。利する=利益を与える、得をするなので1つ目は文字通りとなります。

自分は1つ目の方だけだと思ってました。最近よく使われる言葉で言うとGIVEの精神ですね。また、利他の対義語は利己ーこれもわかりやすくいうと自己中ーを想像しますが、実際はそういうわけではないようです。

そもそも利他とは自分を犠牲にするありきなのかというとそれすら正しいとは言えないと本書では言ってます。利他的=他人のため、このような理解をしているならば本書でその知識はまるっきり違うものにアップデートされることでしょう。

本書の構成
  • 利他が望まれる時代
  • 利他という言葉の始まり
  • 「利」とは
  • 利他的な生き方をした人たち
  • 利他に生かされる自己愛

あの2人でも全然違った「利他」の解釈

本書では利他がどのように解釈されてきたかを仏教・儒教・欧州哲学の立場を切り取って紹介しています。この中で最も日本人にとっては馴染みの深い仏教に絡むお話をここでは抜粋します。

日本での言い出しっぺは空海

真言宗の開祖として知られる空海は中学校の社会科教科書でも登場する有名人物ですね。806年に書いた「請来目録」にこう書いています。

それ釈教は浩汗にして際なく、涯なし。一言にしてこれを弊せば、ただ二利にのみあり。常楽の果を期するは自利なり。苦空の因を済うは利他なり。

利己と利他ではなくて自利と利他がセットだと言います。

最澄も自らの考えを明示

対して空海のバーター?的にセットで教科書に出てくるのは天台宗の開祖・最澄です。

最澄の意見は少し違っていまして、

悪事を己れに向へ、好事を他にへ、己れを忘れて他を利するは、慈悲の極みなり。

苦しいことは自分が引き受けて他人には喜ばしいことを与える、これが大切だといってます。冒頭で紹介した辞書的な意味でいうと1つ目に対応しそうですね。

空海はみんなハッピーを目指す感じ、最澄は自分が犠牲になってでも他人に良いことをするのが至高という感じで同じ時代に生きている二人の意見がまるっきり違うのは面白いですね。

自分の意見は「自己犠牲ありきではなくてもいいと思う」

最後に自分の考えを明示しておくと自己犠牲があるから利他的だ、とは思いません。空海の考えに賛同してまして利他的な行為をすれば結果的に自利にもなると思います。

近年、「GIVE」の精神が重んじられているように思います。無償で何かやってるように見えますが、やってる本人は「他人にいいことをしたぞ」という満足感で幸せに感じていることがしばしばです。

側から見たら「それって自己満じゃん」とか「やってあげてるというスタンスだとどうなのか」といった考えも出てくるかもしれませんが、その「他人」にとって利益になったならなんの問題もないですよね。そして自己満なのも問題ないと思います。別に人に自慢するためにやってるわけじゃないでしょうし。

必要最低限の欲求(衣食住とか)が満たされている前提で、ですが実は利他的な行動こそ人がやりたいと思ってることなのかもしれませんね。利己的と呼ばれる人というのはもしかしたらその必要最低限の欲求のレベルが高すぎたりとか、単純に利他的な行動で偉えるメリットを知らなかったりするだけなのかもしれません。

利他的な行動は他人のため、というよりは巡り巡って自分にも幸福感をもたらす行為なので積極的にやってほしいなと思います。

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